女優として活躍しながら、日本舞踊の家元も務める藤間爽子さん。
そんな藤間さんですが、実は華麗なる一族の継承者なのをご存知でしょうか。
藤間さんの家系図には、日本舞踊界や歌舞伎界、そして芸能界で活躍する著名人が数多く存在します。
今回は、藤間爽子さんの家系図を紐解きながら、その華麗なる一族の歴史と現在についてリサーチしていきます。
藤間爽子の家系図 医学界から芸能界へ続く系譜

多才な才能を持つ藤間爽子さん。
そんな藤間さんですが、その家系の始まりは意外にも医学界だったのをご存知でしょうか。
藤間さんの家系の原点は、曾祖父である河野勝斎さんにさかのぼります。
河野さんは、日本医科大学の初代理事長兼学長を務めた医学界の重鎮でした。
驚くべきことに、河野さんは9人の子供を持つ大家族の父親で、そのうち4人が芸能界に、2人が医師になったという多彩な家系の礎を築きました。
特筆すべきは、河野さんが六代目尾上菊五郎さんの主治医を務めていたことです。
この医師と歌舞伎界のつながりが、後に娘・藤間紫さんの運命を大きく左右することになります。
河野さんの子供たちの中でも特に有名なのが、六代目中村東蔵さんです。
初代藤間紫さんの実弟にあたる中村さんは、人間国宝に選ばれた歌舞伎界の重鎮でした。
このように、藤間爽子さんの家系は医学界から始まり、芸能界へと広がっていったのです。
藤間爽子の祖母 初代藤間紫の波乱万丈な人生

日本舞踊界の名門として知られる藤間さん。
そんな藤間さんですが、祖母である初代藤間紫さんの人生が波乱万丈だったのをご存知でしょうか。
初代藤間紫さん(本名:喜熨斗綾子さん)は、1923年に河野勝斎さんの長女として生まれました。
12歳で六世藤間勘十郎さんに入門し、21歳という若さで24歳年上の師匠と結婚しました。
しかし、初代藤間紫さんの人生は愛と裏切りに満ちたドラマでした。
1960年代から16歳年下の三代目市川猿之助さん(後の二代目市川猿翁さん)との不倫関係が始まり、この恋愛は25年間も続く壮絶なW不倫となりました。
1985年、夫である藤間勘十郎さんが、ついに藤間紫さんに対して離婚調停を申し立てます。
その際の慰謝料請求額は、なんと3億5千万円という当時としては破格の金額でした。
この離婚劇は連日マスコミを賑わせ、昭和最大級の芸能スキャンダルとなりました。
離婚から2年後の1987年、初代藤間紫さんは宗家藤間流を離れ、独自の「紫派藤間流」を創設します。
2000年、77歳の初代藤間紫さんは、61歳の市川猿之助さんとついに正式に結婚します。
35年間の同棲生活を経て、ようやく実った愛でした。
藤間爽子の親族 著名人が多数存在する華麗なる一族

日本舞踊の家元として、また女優として活躍する藤間爽子さん。
そんな藤間さんですが、親族にも多くの著名人がいるのをご存知でしょうか。
藤間さんの父・藤間文彦さんは、初代藤間紫さんと六世藤間勘十郎さんの長男として1951年に生まれました。
1970年代に俳優として活躍し、母・初代藤間紫さんとの親子共演作品「花嫁の父」でも話題となりました。
現在は市川猿翁さんが所属する「株式会社おもだか」の社長を務めています。
母・島村佳江さんは広島県出身の元女優で、1976年から活動を開始しました。
藤間爽子さんの透明感ある美しさは、母譲りと言えるでしょう。
藤間さんには2歳年上の兄、藤間貴彦さん(現・初代藤間翔さん)がいます。
彼は2006年頃にジャニーズ事務所に入所し、「Tops」というジャニーズJr.のユニットで活動していました。
現在は日本舞踊家として活動し、2021年に「初代藤間翔」を襲名しました。
また、俳優の香川照之さん(市川中車さん)は、藤間爽子さんにとって血縁関係のない義理の叔父にあたります。
このように、藤間爽子さんの親族には多くの著名人が存在し、まさに華麗なる一族と呼ぶにふさわしい家系図を形成しています。
まとめ
藤間爽子さんの家系図は、医学界から始まり日本舞踊界、歌舞伎界、そして現代の芸能界へと続く壮大な物語でした。
祖母である初代藤間紫さんは波乱万丈な人生を送り、「紫派藤間流」を創設しました。
藤間さんの親族には多くの著名人が存在し、まさに華麗なる一族と呼ぶにふさわしい家系であることがわかりました。
現在、藤間爽子さんは三代目藤間紫として日本舞踊の家元を務めながら、女優としても活躍しています。
この華麗なる一族の歴史を背負いながら、藤間さんが今後どのような活躍を見せてくれるのか、楽しみですね。
それでは、ありがとうございました!
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