俳優として活躍し、最近では農業にも挑戦している工藤阿須加さん。
そんな工藤阿須加さんですが、大学時代はどのような生活を送っていたのでしょうか。
また、俳優への転身はどのようにして決意したのでしょうか。
今回は、工藤阿須加さんの大学生活や俳優転身までの経緯について詳しく見ていきましょう。
工藤阿須加の大学はどこ?東京農業大学での学び

多才な活躍を見せる工藤阿須加さん。
そんな工藤阿須加さんですが、大学時代はどのような学びを得ていたのでしょうか。
工藤阿須加さんは東京農業大学に進学しました。
進学の動機は、木村秋則さんの「奇跡のリンゴ」という本に感銘を受けたことでした。
世界で初めて無農薬・無肥料でリンゴの栽培に成功した木村さんの生き方に感化され、「僕が日本の農業を変えよう」という志を抱いたのです。
大学での所属学部については公式な言及は見つかりませんでした。
しかし、興味深いことに工藤さんは東京農業大学に在籍しながら、早稲田大学の「早大マッチポイント」という公認サークルに参加してテニスを続けていました。
大学1年生の時には「Festa」というサークルの全国大会で優勝を果たすという快挙を成し遂げました。
2011年には混合ダブルスで準優勝という成績も残しています。
工藤阿須加が高校時代に経験したテニスの挫折

テニスの実力者として知られる工藤阿須加さんですが、高校時代にはテニスで大きな挫折を経験したようです。
工藤阿須加さんは小学5年生からテニスを始め、プロのテニス選手を目指していました。
そのためテニスの名門校として知られる大阪府の長尾谷高等学校に進学しました。
同校のテニス部は全国屈指の強豪で、プロテニス選手の伊藤竜馬さんも輩出している名門です。
しかし、高校1年生の時に練習のし過ぎで右肩を壊してしまいます。
医師からは「1年以上テニスに復帰できない可能性がある」という深刻な診断を受け、工藤さん本人は「あ、終わった……」と頭が真っ白になったと振り返っています。
絶望的な状況の中、母親から「いい加減にしなさい。これからどうするの」と叱責を受けました。
工藤さんは父親の工藤公康さんから怒られることを覚悟していましたが、実際には「長い人生、立ち止まる時期があってもいいじゃないか」という温かい言葉をもらい、号泣したと語っています。
翌日には退学を決め、千葉県の東京学館高等学校に転校しました。
工藤阿須加の大学時代の活動と俳優への転身

多彩な才能を持つ工藤阿須加さん。
そんな工藤阿須加さんですが、大学時代の活動や俳優への転身はどのようなものだったのでしょうか。
工藤阿須加さんの大学時代のテニスの実力は相当なもので、後に「体育会TV」で錦織圭選手と30-0のハンデ戦を行い、工藤さんが勝利するほどの腕前でした。
しかし、工藤さんの俳優への道のりは平坦ではありませんでした。
テニスでプロの道を断念した18歳の時、妹が持ってきたオーディション雑誌を見て俳優を目指すことを考えました。
「俳優であればプロテニス選手と同じように大勢の人に影響を与えられる」と考えたのです。
しかし父親の工藤公康さんは大反対しました。
工藤さんは一度は諦めて東京農業大学に進学しましたが、19歳の時に再び俳優への決意を固めました。
父親から「お前、もうそろそそ1人の男として社会に出ていくんだから、自分の人生決めろ」と言われたことがきっかけでした。
息子の決意の固さを確認した工藤公康さんは、意外にも芸能界入りのチャンスを作ってくれ、運命的な出会いがあります。
この運命的な出会いにより、工藤さんは芸能界への第一歩を踏み出すことになります。
2012年、21歳の時に日本テレビドラマ「理想の息子」で俳優デビューを果たしました。
まとめ
工藤阿須加さんの大学は東京農業大学でした。
高校時代にテニスで挫折を経験しましたが、大学時代も早稲田大学のサークルでテニスを続けていました。
俳優への転身は父親の反対もありましたが、19歳で決意を固め、21歳でデビューを果たしました。
現在は俳優活動と並行して農業にも取り組んでおり、大学での学びを活かしています。
それでは、ありがとうございました!
コメント