俳優として幅広い役柄をこなす池田成志さん。
その若い頃の姿や、俳優としての道のりには興味深いエピソードが詰まっています。
今回は池田さんの若い頃の姿や、超難関校からアングラ劇団へと進んだ経緯について詳しく見ていきましょう。
池田成志の若い頃 二枚目から三枚目までこなす器用なイケメン俳優

池田成志さんは、若い頃から俳優として多彩な魅力を放っていました。
大学在学中にデビューした池田さんは、その頃から二枚目の役から三枚目の脇役まで幅広くこなす器用さを持っていたのです。
当時の池田さんの姿を見た人々からは、「実はかなりのイケメン」という声が上がっていたそうです。
その若々しい外見と演技の幅広さは、多くのファンを魅了していました。
特に女性ファンからの支持も厚く、二枚目俳優としての人気も高かったようです。
池田さんの魅力は、単にルックスだけではありません。
彼の演技力と表現力が、様々な役柄を演じ分ける基盤となっていたのです。
この時期に培った演技の幅広さが、現在の池田さんの演技スタイルにも大きく影響していると言えるでしょう。
池田成志の学生時代 超難関校から演劇の道へ転身した経緯

池田成志さんの学生時代は、意外にも演劇とは縁遠いところから始まりました。
彼は福岡県の超難関校である筑紫丘高校出身で、両親ともに教師という教育熱心な家庭で育ちました。
高校入学後、池田さんはまずラグビー部に入部しましたが、厳しい練習に耐えきれず1年生で退部してしまいます。
その後、彼は映画研究会に入会し、自ら映画を撮影するなど創作活動に没頭しました。
しかし、池田さんの人生を大きく変えたのは、高校2年生の時の出来事でした。
演劇部の手伝いをしたことがきっかけで舞台に出演し、その経験で演劇に衝撃を受けたのです。
この体験が、池田さんが大学で演劇の道を進むことを決意させる決定的な出来事となりました。
早稲田大学に進学した池田さんは、入学後わずか3日で演劇研究会の公演を見て入会を決意します。
そして20歳の時、鴻上尚史さん主宰の劇団「第三舞台」に参加し、本格的な俳優活動をスタートさせたのです。
池田成志のアングラ劇団時代 第三舞台での活動と鴻上尚史との出会い

池田成志さんの俳優としてのキャリアは、アングラ劇団「第三舞台」での活動から本格的に始まりました。
1982年、20歳の池田さんは第三舞台に参加し、同年10月に初舞台を踏みます。
第三舞台での活動は、池田さんにとって俳優としての基礎を築く重要な時期となりました。
特に、劇団主宰の鴻上尚史さんとの出会いは、池田さんの俳優人生に大きな影響を与えました。
鴻上さんについて、池田さんは「すごく厳しかったと同時に、すごく理想に溢れていた」と語っています。
当時はまだアングラ劇団として評価されていなかった第三舞台でしたが、鴻上さんの「絶対大丈夫だ」という自信が、若い池田さんを支えていたのでしょう。
池田さんと鴻上さんの関係は、単なる師弟関係を超えた人間的な交流もありました。
例えば、麻雀で池田さんが鴻上さんから上がると「おまえは先輩を先輩とも思わんやつだ」と罵倒されるなど、ユーモラスなエピソードも残っています。
この時期の池田さんは、自身を「ホンとにいいかげん」と評しており、第三舞台を離れて「山の手事情社」の設立に携わったり、フリーの俳優として第三舞台に客演で戻ったりと、落ち着きのない青春時代を過ごしていました。
まとめ
池田成志さんの若い頃は、超難関校出身でありながら演劇に魅了され、アングラ劇団で本格的な俳優活動を始めた波乱万丈な時期でした。
その間、二枚目から三枚目まで幅広い役をこなす器用さを身につけ、現在の演技派俳優としての基礎を築きました。
高校時代の演劇との出会いから始まり、鴻上尚史さんとの師弟関係、そして様々な劇団での経験が、池田さんを今日の実力派俳優へと成長させたのです。
若い頃のイケメンぶりと相まって、池田さんの俳優としての魅力は時代を超えて輝き続けています。
そんな池田成志さん、これからも応援していきたいですよね。
それでは、ありがとうございました!
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