社会に大きな衝撃を与えた事件の容疑者として注目を集めている山上徹也さん、多くの人がその人物像に関心を寄せています。
なかでも「どのような学歴を持ち、どんな環境で育ってきたのか」を知りたいと考える人は少なくありません。
本記事では、山上徹也さんの小学校から大学進学の有無といった学歴を整理し、家庭環境や人物像をわかりやすく解説します。
山上徹也の学歴まとめ

優秀な成績を収めていた山上徹也さん。
そんな山上さんですが、具体的にはどのような学歴を持っているのでしょうか。
山上徹也さんの学歴は以下の通りです。
小学校は奈良市立伏見南小学校(推定)に通っていたとされています。
中学校は奈良市立京西中学校(推定)に進学しました。
高校は奈良県立郡山高等学校(偏差値68-69の県内有数の進学校)に入学し、1999年に卒業しています。
大学については、家庭の経済状況により進学を断念したとされています。
一部報道では同志社大学理工学部に進学後中退したという情報もありますが、確証は得られていません。
山上徹也の家庭環境 恵まれた出発点から経済破綻まで

比較的裕福な家庭で育った山上徹也さん。
そんな山上さんですが、家庭環境はどのように変化していったのでしょうか。
山上さんの家庭は当初、恵まれた環境にありました。
父親は京都大学工学部卒でゼネコン勤務後、妻の実家の建設会社役員を務めていました。
母親は大阪市立大学卒の栄養士で、叔母は医師という家系でした。
しかし、1984年12月に父親が37歳で自殺し、家庭に大きな変化が訪れます。
その後、1991年頃に母親が某教会に入信し、1994年頃から本格的な献金を始めました。
父親の死亡保険金6000万円や実父からの相続財産など、総額1億円以上を某教団に献金したとされています。
結果として、2002年8月に母親は自己破産に追い込まれ、家庭は経済的に破綻しました。
山上徹也の人物像 優等生から孤独な青年への変遷

学生時代は優等生として知られていた山上徹也さん。
そんな山上さんですが、どのように人物像が変化していったのでしょうか。
小中学校時代の山上被告は、「非の打ち所がない人」「賢くて真面目」と評される優等生でした。
ニックネームは小学校時代に「こてつ」、中学校時代に「てっちゃん」と呼ばれていました。
勉強も運動もでき、友人に宿題を教える立場にあり、皆から好かれる存在でした。
高校時代には応援団に所属し、「団長」というあだ名で呼ばれていました。
しかし、この頃から友人と距離を置き、一人で過ごすことが多くなっていったといいます。
大学進学を断念した後、2002年8月に海上自衛隊に入隊し、3年間勤務しました。
退役後は非正規雇用を転々とし、多数の資格を取得して人生の立て直しを図ろうとしました。
30歳前後で家の財産が某教会に渡っていた事実を知り、教団への強い恨みを抱くようになったとされています。
まとめ
山上徹也さんの学歴は、奈良県立郡山高等学校卒業までが確認されています。
家庭環境は、当初は恵まれていましたが、父親の自殺と母親の統一教会への献金により経済的に破綻しました。
人物像は、優等生から孤独な青年へと変化し、家庭の悲劇が彼の人生に大きな影響を与えたことがうかがえます。
胸中を話せる友人や先輩がいたら、悲しい事件が起きずに済んだのかもしれません・・・。
それでは、ありがとうございました!
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